カメラマンの友だちが彫った招き猫が、拝まれてる?
「バリ島には、彫りやすい石があって、暇だったから招き猫を作ったんだ。重いから、島に残してきたんだけど」
次の年、彼がバリに行くと、自分が彫った招き猫にお供え物があり、地元の人達が拝んでいたという。
どうやら、バリの神様になったらしいのだ。
宗教の始まりって、そんなことだったのかもしれない。
彼が彫った招き猫は、どこかご利益がありそうに見えるし…。
世界三大宗教は、仏教、キリスト教、イスラム教である。
信者数は、キリスト教20億人、イスラム教16億人、ヒンドゥー教11億人である。ヒンドゥー教は、なんと、仏教より多い。けど、世界三大宗教に、なぜか入っていない。
日本で馴染みがないせいかな。
世界には、無宗教の人が大勢いる。
日本人も無宗教に入るわけだけど、僕は「そうでもない」と考えている。
春日大社の宮司さんを取材した時、こんな話を伺った。
「かつて日本人は、神を拝む時『何もしなくておりがとう』と祈っていました。
神は、祟るものですから。
触らぬ神に祟りなし、です。
ところが歴史が下がってくると、次第に、神と取引をはじめます。
お賽銭をはずむから願いを叶えてくださいとか」
日本人にとっての神は、利益をもたらす存在ではなかった。
祟るのである。
仏教は、唐の神で、キリスト教は、北米の神である。
神さまが沢山いる日本人にとって、なんの不思議もない。
祟らなければいい。
「無宗教がいけない」
は、宗教の布教をする側の洗脳だと思う。
日本人の神は、さわらぬ神なので、利益ももたらさないのに、災いをもたらしたりするから、熱心に祈らない。
「いいとこがないから関わらない」のだろう。
なので、日本人は無宗教ではない。
信じてはいる。
関わりたくないだけだ。
例えば、もがさの神は、天然痘の神である。近寄ってくると病気になる災いの神である。
もともとバリ島の招き猫のように、古代神は自然発生した存在にも思える。
僕たち日本人の中には、さわらぬ神が(潜在的に)いるように思える。
助けてもらおうなどとは、基本、思っていない。
助けてくれる神様たち。
例えば、キリスト教もイスラム教も、宗教による戦争が今も続く。
神は、触らない方がいい。
たぶん。
文:紙本櫻士
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