関所の廃止と楽市楽座。
中世では、株仲間などによる独占による既得権益が、経済の活性化を妨げていた。
織田信長は、この既得権益を排除し自由取引市場をつくった。
楽市楽座である。
また、信長による関所の廃止は、自由な通行ができるようになり、やはり経済を発展させた。
関所の通行税は、旅人の安全を守るために使われたり、道路を整備したりする費用に使われていたから、一概に、悪いものではない。
問題は、やりすぎてしまうのである。
関所をどんどん作って、料金を取れば儲かる。
そんな風に考える領主が、大勢いた。
現在、ネット世界では、この関所の廃止が行われた。
ドラえもんのどこでもドアのように物理的に移動はできないけど、ネットを通してどこでも情報は自由に移動できるようになった。
情報の関所は、(ある程度だけど)廃止されたのである。
ただ現在、音楽業界においてはJASRAC(日本音楽著作権協会)が、巨大な独占による既得権集団となっている。
社団法人として、著作権者の権利を守るのが、彼らの仕事である。
僕なんかは、どちらかというと守られる立場だ。
おそらく、中世の株仲間も自分たちを守る制度だったと思う。
利益の追求を始めると、関所のようにやりすぎるのだ。
独占だとなおさらである。
現在、ラジオトークやPodcastでは、著作権のあるものについて自由に音楽配信ができない。
著作権があるのだから当然なのだが、
「囲い込むことが経済発展の妨げになる」
という流れが、抜けているように感じる。
囲い込めるなら、どんどんやりたい。
既得権益を持つと、やりすぎてしまうのだ。
余談だけど、
映画『アマデウス』で、劇場監督とモーツァルトが揉めるシーンがある。
「バレエが始まると音楽がなくなるのはなぜだ?」
と、モーツァルトが言う。
「バレエと音楽は同時にできない決まりがあるのだ」
そこに、ヨーゼフ二世が現れる。
音楽なしで踊っているバレリーナを見て
「何をしているんだ?」と、皇帝は監督に言う。
「バレエでは、音楽は禁止です」
皇帝は、馬鹿げてるとモーツァルトに音楽を演奏することを許す。
現在、ネットラジオの世界では、同じようなことが起こっている。
著作権という権力が、音楽を自由に流すことを妨げている。
やりすぎている。
デジテル化によって、何度コピーしても劣化しない技術が発展した。
「自由に流してしまうと、コピーが氾濫する」
そんな、意見もある。
でもそれは大義名分で、ナイフを売ると犯罪者が使うからダメだの論理だ。
犯罪者は、犯罪者である。
論理のすり替えは、ナンセンスだ。
JYASRACは、やりすぎているのではないか?
著作権者を守り、彼らの作品を広めるアイデアは、必ずある。
JASRACの既得権独占から、僕たちは楽市楽座による発展を目指すべきだ。
どうだろう?
文:紙本櫻士
ラジオ版 トライ&エラー
【人気記事】
【ラジオ 起業でごはん!! 人気トーク】
【マンガな米前線】
コメントをお書きください