過去と会話し、未来に告げる。
スティーブン・キングが書いた『小説作法』という本に、
「小説とは未来の読者に思念を送るようなもので、未来の読者は、いまの自分(キング)に向き合ってる」
と、書かれていた。正確に思いだせないけど、そんなような主張だったように思う。
例えば、僕は2019年4月29日(月)12時30分に、このブログを書いている。
昭和天皇の誕生日で、いまは、激動の昭和を偲ぶ『昭和の日』という休日である。
このブログは、未来の誰かが読むことになる。
かつて小説、音楽や動画を発表するのは、特権階級しかできなかった。
時代を遡るほど、庶民は記録を残すことが難しい。
今ほど、簡単に発信できる時代はない。
簡単になった分、競争原理が働くようになったとは思う。
誰もが発信できるけど、大量の情報に埋もれてしまう時代でもある。
例えば、起業し事業やサービスを発信し、一番を取ると総取りになる。
なんだか、大富豪やモノポリーのゲームのようにも思える。
Amazon、Google、楽天など、総取りを享受している会社を散見する。
リアル世界で、ネットから大富豪が現れるのは、一番の総取りが関係しているのだろう。
現在、ある種の事業はゲームのような拡大をしているのではないか?
数学者のジョン・ナッシュが、ゲーム理論を発表したが、ネットの出現で新しいゲーム理論が生まれているのかもしれない。
ネットというカオスは、ある方向性を持って動いているように感じる。
Facebookをやっている友人たちの何人かは、すでに亡くなっている。
その亡くなった人の誕生日を、Facebookは僕に教え続ける。
今日は、誰々の誕生日です。と。
なんだか、SFの世界に生きているようだ。
僕の会社は強化ダンボールでつくったステージキット『ステージキッズ』を販売している。
とても、よい製品だと考えているが広めるのは骨である。
とはいえ、一度、WEBサイトを作ると、24時間265日発信をし続けてくれる。
新米を食べる提案『米前線』も、同じくだ。
案外、面白い時代に僕たちは生きているのではなか?
亡くなった人にFacebookで会いに行けるし、未来の子孫に発信だってできる。
海外と、簡単に会話ができる。映像つきで。
3Dの技術を使えば、リアルに移動しているようにもできそうだ。
タイムマシンやどこでもドアを、僕たちは、もう手に入れているのだ。
ネットは当分カオスだろうけど、何かがうまれつつありワクワクする。
当事者だから、いろいろと気づいていないだけなんじゃないかな。
僕たちは、激動の時代に生きてる。
昭和の日みたいにね。
たぶん。
文:紙本櫻士
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