テレビとの接し方が変わった。
所有から共有へが、急激に起こっている。
例えば、録画は所有である。
録画をすると、いつでも好きなときに好きな番組を見ることができるのは、画期的だった。
時間に縛られずに、好きな時間に見ればいいからだ。
ところが、録画した番組を見なければならない。
「折角録画したんだから見ないと」である。
一見自由に思えて、そんな縛られ方を、いつの間にか僕たちは「されていた」ように思う。
「録画をみなきゃ」
そんなプレッシャーも、存在する。
スマホやPCで見ることができる、TVerサービスの出現で、僕の場合だけど明らかにテレビとの付き合い方が変わった。
TVerでは一週間くらいの間に、放送を「選んで」見ることができる。
1週間を超えると、基本、見ることができなくなるサービスである。
録画が溜まって、見なければならない番組が増えるより清々しい。
つまらないと感じた番組に縛られることもない。
途中で見るのを辞めるのも、気楽である。
わざわざ、録音していないから…。
7日の間に見れなかった番組は、たいして面白くない番組なのだ。
また録画の場合、CMを飛ばしていたがTVerのCMは強制的である。
これは、むしろ面白CMが増えるように思える。
80年代CMが元気だったのは、まだ、CMを飛ばして見るほど録画が普及していいなかったからではないか。
強制的だからこそ、面白くないとCMで物が売れない。
強制的というのが、CMにチカラを与えていたのではないか?
そんあ風に思っている。
仲畑貴志さんが作った
「ベンザエースを買ってください」
と、小泉今日子が出演するCMは、当時、衝撃的だった。
広告であの手この手をやりつくした後に、シンプルに「買ってください」と主張したのがいい。
そんな風に思っていた。
でも、実は違っていて「面白CM」が、録画の普及で必要なくなっていたのかもしれない。
どうせ飛ばされるなら、シンプルに「買ってください」と、主張しようと。
TVerのようなサービスの出現で、広告は変わっていくと感じる。
僕たちは、その渦中にいるのだ。
文:紙本櫻士
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