視覚を奪わないブログ。
音声による発信だと、Podcastが有名だろう。
最近では、中国で4億人の登録ユーザーを誇る『HIMARAYA』が、注目を集めている。
そもそもラジオは、オワコンではないか?
と思われてきたが、音のネット配信が増えるに連れて、見直されてきている。
動いている分野は、面白いのだ。
YouTubeは視覚と聴覚を奪う。
ブログは、視覚と思考を奪う。
ラジオは、聴覚と思考を(ある程度)奪う。
ラジオは、「ながら」ができるのだ。
運転しながら、料理しながら、ストレッチしながら、風呂に入りながら、就寝しながら。
「ながら」が、ネットにつながった。
今後、スマートスピーカーにも、快適につながるだろう。
勉強しながらや、原稿を書きながらは、あえて入れなかった。
思考を奪うから、そこは向いていない。と、僕は思う。
少なくとも、僕はダメである。
音楽なら「ながら」ができるが、意味のある言葉が入るとダメである。
なので英語は聞けないけど、スワヒリ語やイスラム後なら大丈夫だ。
もはや、意味のない音楽でしかないから…。
音楽でも、バロックがいい。バッハとか。
考えなくていいから。僕はだけど。
余談だけど、
ベートーベンやブラームスは、考えてしまう。
モーツァルトやハイドンが、思考を妨げないように思う。
ピアノだと、ぎりショパンだ。
昔のラジオは、プロが作っていた。
職業的パーソナリティーがいて、番組を進行させる。
構成作家もいて、リスナーを意識した企画やトークを流す。
そこには、「ラジオはこうあるもの」という、形式があると思う。
ところが、ラジオトークには、それがない。
「録音した音声を12分間流せます」
それだけだ。
書く場だけを提供しているブログに似ている。
『Radiotalk』は、エキサイトの社内ベンチャーが運営している。
エキサイトは、検索エンジン、ポータルサイト、ブログを展開する会社だ。
ラジオトークが、どこかブログに似ているのは、運営母体からくるのかもしれない。
おそらく有名ブロガー(ラジオトークではトーカーと呼んでいる)のような人たちが、ネットラジオからも生まれるだろう。
いまは過渡期で、ひどいカオスだ。
そこが面白いのだけどね。
ブログもYouTubeも、当分、カオスだろう。
視覚を奪わない、音声メディアの可能性を感じている。
文:紙本櫻士
ラジオ版 トライ&エラー
【人気記事】
【マンガな米前線】
コメントをお書きください