田舎のスピーカーは、強引である。
「紙本さんの家の柿を、熊が食べています。ご注意ください」
などと、突然、放送される。
田舎の親戚ん家で。
危険だからだけど。
電信柱にも拡声器が設置されているが、台所にも色あせたプラスチッキーな四角いスピーカーがあった。
「今日は、休日です」
などと、女性のアナウンスが日曜日の午後に流れてくる。
もはや、シュールである。
インターネットがない時代の、マスコミは強かった。
新聞、雑誌、テレビ、ラジオから、僕たちは情報を得るしかなかったからだ。
自分で情報を選ぶことは基本できない。
台所のスピーカーのように最強なのだ。
それでも、
「自分たちの媒体が欲しい」
と、学生たちが始めた情報誌もある。
『ぴあ』とか「現代用語の基礎知識」とかだ。
現代用語の基礎知識を始めた長谷川さんの名刺に『自由国民社』とあり、
「右翼みたいな名刺ですね」と言ったことがある。
「(言って)しまった」と思ったのを覚えている。
失礼かな? ではなく「本当に右翼だったら、まずいな」とか。
長谷川さんは変わった人で、ビデオを撮影しながら打ち合わせをする。
とにかく、なんでも記録しながら、生活しているというのだ。
そういえば、そんな映画があった。
監督が、自分の日常をただ撮っただけの映画である。
そんな、感じ。
あれは、作品になったのだろうか?
現在、ブログ、Facebook、Twitter、ポッドキャスト、YouTubeなどなど、発信を手軽にできるようになった。
もはや、何を選んでいいやら分からない。
CDを作るのも、写真やイラストを発表するのはすぐできる。
「面白い!! ☆5つ」
などとあっても、関係者が評価しているのかもしれず、うかうかとは信じられない。
余談だけど、
僕のオフィスを、覗きに来るハクビシンがいた。
2周間くらい、連日である。
飼っていた猫が気づき、
「何かいるよ」
と、教えてくれたのだ。
ハクビシンが来ると、猫は窓際でしばらくにらめっこをする。
ある時、急にハクビシンが来なくなった。
庭に生っていたビワの実が、全部なくなるのと同時に。
何が面白いかを、自分で判断する過渡期に、僕たちは生きている。
発信のハードルが下がるり、混沌と淘汰が起きている。
自分で考えて選ぶチカラがないと、ネット世界はつまらない。
起業も同じだろう。
文:紙本櫻士
https://komezensen.jimdofree.com/
https://radiotalk.jp/program/2486
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