渦中にいると分からない。
僕たちは、ネットの可能性の渦中にいる。
グツグツと蠢いていて、どこに行くのかが分からない。
でも、だから面白いでのである。
例えば、ジャズという分野を見つけて、みんなが熱中しながらジャズを作ってい行った。
いま、そこに生まれている文化に触れているとワクワクする。
モーツァルトも、ワクワクしながら新しいポップスを作曲していたと思うし、演歌は、邦楽のニューミュージックだったりする。
でも、動くのをやめると、クラシックになったり『演歌』という、枠組みの中で作る作品になったりする。
僕がコピーライターになりたての頃、書いた原稿は透明ファイルに入れて広告代理店に持っていったものだ。
それが、フロッピー入稿になった時、素晴らしい技術だと思ったものである。
インターネットを知ったのは、僕の場合早くて、みんながまそこん通信をしていた頃である。
インターネットにつなぐには、一月10万円で「安い!!」と、言っていた頃である。
日経新聞の記事で、ネットの話を書いた時、プロバイダーという言葉をどうするかを悩んだものである。
プロバイダーはプロバイダーだよね。
青山大学で准教授をしている友人がいる。
彼は、僕が通っていた早稲田ゼミナールという予備校の人気講師だった。
予備校を卒業してからも、付き合いがあっていつしか友人になった。
その彼に『メール』というものがあって、素晴らしい技術なんだ。と説明したことある。
「何それ?」
「私書箱みたいなものがあって、僕が手紙を書くと、いつでも相手が読むことがでkるんだ」
「それって、何が便利なの?」
「僕の手紙がいつでも読める」
「なんで、紙本くんの手紙を僕がよまなきゃならない?」
「えーっと…」
僕た場合、書いた原稿を相手に瞬時に送れるのが素晴らしいと分かっていた。
フロッピーディスクに落とした原稿を、電車に乗って届けていたあkら…。
青学の准教授でも、画期的な技術が分からなかった。
数年後に、あれはスゴイ予言だったね。とか、彼に言われたけど。
いま、僕は中間業者を飛ばした、取引が急激に動き出しているように感じてる。
もちろん、未来は分からない。
僕たちがやっている米前線は、面白い未来を作れるのではないか。
僕はワクワクしなら、米前線を作っている。
どうなるかは、楽しみである。
写真は、僕が20代の時に中華街で書いたコピーの仕事。
箱に、僕が書いたコピーがある。
いまでも、使っていてびっくり。
文:紙本櫻士
https://komezensen.jimdofree.com/
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