レコードはなくならない。
Amazon Echoで音楽を聴いている。
ショパンが聴きたいと告げれば、たちまちかけてくれる。
これを書いているいま、ビートルズのオブラディ・オブラダがかかっている。
ネットの進化で、もはや音楽を所有する意味が薄まってしまった。
ところが、僕はレコードを聴く。
大きなレコード盤をターンテーブルに慎重に載せて、針を落とす。
レコード針は、一筋の道を迷うことなく、最初から最後まで走り続け元の場所に戻ってくる。シャッフルなんかできない。
レコードには、A面B面がある。
かつてシングル・レコードのB面などは「ついでに入れました」的な、遊びの要素がある作品を入れたりもした。
両方B面などと、揶揄するアーティストもいた。
所ジョージやなぎら健壱あたりが、そんなことを言っていたような記憶がある。
日本に裏日本がなくなったように、レコードのB面もなくなった。
レコードが駆逐され、カセットテープやCDになりMDになりハードディスクからネット配信に変わった。
そして音楽を所有することも必要なくなってきた。
ビデオも同じで、大量のビデオを手元に所有する意味がない。たぶんね。
レコードがなくなったか?
と言えば、そうではなく選択のひとつになったのだと思う。
慎重にターンテーブルで儀式のように聴くレコードの良さがあるのだ。
ことによあるとCDが好きな人もいるだろうし、MD愛好家がいるのかもしれない。
僕たちは、強化ダンボールを使った『ステージキッズ』を開発、発売している。
ステージの徒花ではなく、選択肢のひとつとして、選ばれるようにブラッシュアップを進めたい。
認知もね。
文:紙本櫻士
https://komezensen.jimdofree.com/
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