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横浜中華街の仕事。

はじめてのコピー。

 

横浜中華街の老舗『源豊行(げんほうこう)』で仕事をしたことがある。

僕は学生で、大学と広告学校に通っていた時のことだ。

僕が、コピーライティングの仕事を探しながら、ウロウロしていた頃のことだ。

幕張メッセのマックワールドに出展する会社のコピーやら、雑誌『マックワールド』に広告風SF小説を書いていたりして、書く仕事ならなんでも引き受けていた。

 

源豊行の仕事もそんな中のひとつだ。

漫画『美味しんぼ』に出てくる周大人のモデル(らしい)源豊行の周社長に依頼されたのだ。

源豊行には『中国美食倶楽部』という会があって、僕がそこにいたのが縁である。

倶楽部の会長は、たしか周富徳さんと周大人だった。周大人のモデルは、いろいろ混じっているのかもしれない。

「君、コピー書けるんだって、このお酒の広告書いてよ」と、源豊行に遊びに行っていた僕に周大人が呼び止めた。

中華街に歩いて行ける場所に住んでいたので、料理研究家の張さんがいる源豊行のキッチンに、連日のように遊びに行っていたのだ。

周大人の依頼に、

僕は「はい、書きます。任せてください」と調子よく引き受けた。

 

あれから25年以上経って、先日、横浜中華街の『源豊行』で紹興酒を買った。

すると、あの時僕が書いたコピーが箱に書かれてあった。まだ、使ってたんだ…、と。

丁度、源豊行の二代目の周くんがお店にいた。

「このコピー、僕が書いたんだ」と、紹興酒をレジで手にしながら言うと、

「ずっと、使ってます。オーシさんが書いたんですね。知らなかった」と、周くんが言った。

周大人も周富徳さんも、故人になった。

 

基本、広告の寿命は短い。

新聞なんて、一日である。

雑誌は、一週間から一ヶ月だ。

なので数十年前書いたコピーが、使われ続けているのは、とても嬉しい。僕が(ほぼ)最初に書いた、最長のコピーである。出来は、ともかく…。

 

大学生の僕が書いたコピーのギャラは、数万円する紹興酒が2本だった。

周大人が、にこやかに渡してくれたのを覚えている。

え、ギャラはお酒なの? と、驚きながら、大学生の僕は受け取っていた。

 

文:紙本櫻士

 

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