初めての文楽。
「千人の月見の宴に出てくれませんか?」と、僕が言うと。
「いいですよ」と、吉田玉助さんが二つ返事をしてくれた。気持ちよく。ありがたいことです。先月のことである。
ただ、今年は襲名披露で大忙しらしい。
玉助さんは、若手ナンバーワンの売れっ子なのだ。出演は、当分先になりそうである。
4月に国立文楽劇場で襲名披露公演があるというので、事務局の広瀬と行ってきた。昨日ね。
ふたりとも「文楽と人形浄瑠璃はどう違うの?」
程度の知識である。
「一番高い弁当買ってきたよ」と、広瀬が言った。
基本、花よりダンゴなのだ。
「安いやつでよかったのに」
「高いやつしか残ってなかったんだよ」
そーなのか…。
文楽弁当は人気らしい。
プログラムは、前半と後半があって、間に30分の休憩がある。
弁当は、そこで食べる。
能は、神さまに奉納する。世阿弥の書にも「能は本来神さまに見せるものだ」と、書かれているからたぶんそーだ。
なので弁当を食べながら見るものではなかったりする。
文楽や歌舞伎は、能と違って人間に見せる興行なのだ。
でググってみると人形浄瑠璃と、文楽は同じものだった。
江戸初期の発祥で、江戸は平賀源内が広めたという。土用の丑の日といい、相変わらず源内さんは江戸の広告代理店のようだ。
「例えば僕みたいな人が、浄瑠璃を人形でやったら面白いよ。弁士と音楽つけて、義経とか武田信玄とか、ダースベーダーとか有名な人にも登場してもらって。脚本ならオイラが書こうか? とか、始めたんじゃない?」
「そんな風に言うと、なんだか安っぽいじゃないか」と、広瀬が言う。
とはいえ続けることが、歴史と重みを与えるのだ。
モーツァルトだって、当時は、ポップスの作曲家だった。
余談だけど、日本アニメは、人形浄瑠璃から始まっていると思っている。
アニメーションで絵(人形)を動かし、芝居をさせる構造が同じである。日本アニメは、伝統を背負っている分、人間の群像劇が深くなる。
昨日今日始まった芸術じゃない。
さて、僕たちが始めた『月見めし』『千人の月見の宴』は、これからである。
「月見の宴とかけまして、広瀬の結婚とときます。
その心は? どちらも諦めるわけにはいきません」
と、言うと「お、うまいね」と広瀬が笑った。
文:紙本櫻士
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