草彅剛、香取慎吾、稲垣吾郎。新しいメディアの出現。

ネットTVが元気である

 

1950年、テレビの定期放送試験が始まり、その3年後に本放送が開始された。

当時のテレビは、高価なためなかなか普及せず、庶民はラジオを聞いていた時代である。

「テレビなんて」という、人も多かったという。

1952年にラジオドラマ『君の名は』が始まると、放送時間に「女湯から人が消えた」という伝説の番組があるほど、ラジオは元気だった。

当時、テレビ関係者は肩身の狭い思いをしていたという。

それが土曜の夜は『8時だヨ! 全員集合』になっていくのだけど。

 

本放送を最初に始めた日本放送は、CMを収入源にしていて(いまも同じ)、なんとか視聴率を上げる必要があった。

思いついたのが、街頭テレビである。

現在のように大きなモニターなどない時代、街頭に小さなテレビをいくつも設置した。

ブロレス、大相撲、ボクシング中継を、繁華街、デパート、駅などで流すアイデアだ。

「台数は少なくても視聴者は多い」と、日本テレビは営業をかけた。

事実、庶民は街頭テレビに群がったのである。

「これは宣伝になるな」と考えた企業は、CMをテレビで流すようになる。

その後は、ご存知の通り。

 

現在、当時のラジオとテレビの関係をネットに当てはめるのは乱暴だと思う。

メディアの選択が増え、テレビかネットかの二択をではないからだ。

とはいえ、ネットテレビは新しいウェーブだ。

おそらく、ネットTV制作に参加している人たちは、1950年当時のテレビ黎明期を見ている。

でも、あの時ほど大勝ちはないかもしれない(ラジオに勝ったように)。

ゲームだって、ブログだって、新しいメディアで、僕たちに当時のような二択をする必要がないからだ。

 

SMAPを解散した後、草彅くん、稲垣くん、香取くんの3人がネットテレビで活躍を始めている。

切り口は違うけど、かつての力道山のようにネットテレビの象徴になりつつある。視聴率で言ったら、街頭テレビ時代とは比較にならないだろう。

もちろん草彅くんたちの大勝ちである。

でもインパクトでは、力道山が勝ってるかもだけど。

 

テレビからネットへ、という流れは止まらない。

「そこにビジネスチャンスがある」と考えている人たちが現在、群がっている。

そう言う僕も、毎日、ブログを書いて新しいメディアに挑戦しているひとりだ。

サンチョのロバほどもないけどね。

黎明期は、何をやってもいいから楽しい。

 

文:川はともだち 代表 紙本櫻士

 

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