ジャパン・フェスティバル・ボストン

「なんか外人多くね」

 

4月30日に、ボストンコモン公園で開催された『ジャパン・フェスティバル・ボストン』に行ってきた。

 

僕たちが開発販売している『ステージキッズ』が、ジャパン・フェスティバル・ボストンに採用されたからである。

 

委員長の青谷さんが、たまたま、日本に帰国中にテレビでステージキッズの紹介を見たのがきかっけだった。ひと目見て、これはいい、と買ってくれたのだ。

まだ決まっていない時、

「採用されたら、ボストンへ営業行ってくるよ」と僕が言うと、

事務局の広瀬と、営業担当のみーやんも一緒に行くと言う。

で、採用が決まると、

ステージキッズを製造する京阪紙工の社長夫妻も来ることになった。

 

もはや

「アメリカに行きたいかぁ」と日テレの福留功男アナが叫ぶ、昭和のアメリカ横断ウルトラクイズのノリである。

 

当日、広瀬は受付(英語ダメなのに)、僕は警備員になった。

警備員と言っても、委員長の青谷さんが気を使ってくれて(たぶん)、フェスティバルの取材を自由にしてオーケーといった役割である。

 

約6万人来る大きなイベントである。

トラブルなくできるといいな。と、警備員の僕は思うのであった。

 

たこ焼き屋、お好み焼き屋、ゴーゴーカレー、京都一乗寺ラーメン、トマトラーメン、JALの折り紙教室、JR東海のプラレールなどなどの店舗が会場に並んでいた。慶応大学、早稲田大学のブースもある。

ノボリや提灯、ハッピを着たボランティア、僕の地元『枚方まつり』にどこか似ていた。

ボストンなのに…。

「なんか外人多くね」と、後日、広瀬が僕が撮った写真を見て言ったほどだ。

 

ボランティアには、留学している日本の学生が多く参加していた。

水色のハッピを着ている集団は、昭和女子大の娘たちだ。

ハーバードやMITの留学生もいる。

ボストンなのに、どこか日本。ちょっと不思議なイベンドだった。

アニメやゲームのコスプレーヤーも、秋葉原なみにいるし。

 

「紙本さん」と、会場で声をかけられた。

振り向くと、京阪紙工の住谷社長夫婦がいる。

おそろいの革ジャンにジーンズ、なんだかふたりともワイルドである。

「いま、来たところです」と、住谷さんが言った。

「ステージキッズの出番は、最後の盆踊りだそうです」と、僕が言った。

「お好み焼きを買ってきたのでどうです?」と、住谷社長がすすめてくれた。

ピザを乗せるような紙プレートに、お好み焼が入っていた。

「8ドルです」

「いい値段ですね」と、僕が言った。

 

食べてみると旨い。ボストンの人たちに向けて味付けしているわけでもないらしい。それでも、飛ぶように売れていた。たこ焼きは、タコでなくてエビが入っていたけど。

隣で小さな白人の女の子が、焼きそばを慣れない箸で頬張っている。

コスプレーヤーをしたカップルが、立ちながらラーメンを食べている。

日本食は人気だった。

お好み焼きを買うのに、みんな2時間ならんだりするという。ここで店を出したら、旅費が出そうだ。

 

イベントの途中、突然、大雨が降ってきたりと天候トラブルはあったけど、止んで夕方になり盆踊りが始まった。

盆踊りのヤグラが『ステージキッズ』である。

月が〜出た出た、月がぁ〜出た。あ、ヨイヨイ。という『炭坑節』が流れ、太鼓の音が会場に響く。ボストンの人たちが、見よう見まねで輪になって盆踊りを踊っていた。

来てよかったな、と思う瞬間である。

 

ボストンに来なくても、委員長の青谷さんが写真と資料を送ります。と、言ってくれていた。確かに日本にいても、イベントの様子は分かる。

でも、行って、会って、見ないと僕には分からない。

「そんなの全部スマホですませればいい。時間の無駄だよ」と、ホリエモンが言いそうだけどね。

 

結局のところ『一期一会』が楽しいのだ。

 

文:川はともだち 代表 紙本櫻士

 

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